ミシマサイコという薬草を知っていますか!
相模原柴胡の会
(Sagamihara Saiko Association)
(いにしえ)より伝わりし「柴胡が原(さいこがはら)」とミシマサイコ!
相模原市域は明治時代以前には相模野台地と云われる広大な原野が広がり、そこにはミシマサイコの群落地が所々に存在して「柴胡が原」と云われ、夏には一面に黄色いミシマサイコの花が咲き、秋には貴重な薬草(根の部分が漢方生薬・柴胡の原料)として採取されていました。
現在では都市化による環境変化により「柴胡が原」と云われるような場所はなくなり、ミシマサイコも絶滅危惧種となって、相模原市及び神奈川県では全く見られなくなってしまいました。 古の 柴胡の原よ 夏の空 (若井)
「相模原柴胡の会」は相模原市においてミシマサイコの育成・栽培を行うとともに、ミシマサイコの啓発普及活動を行っています。
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ミシマサイコ(三島柴胡) とは
「ミシマサイコ」とは参考
和 名     ミシマサイコ(三島柴胡)ミシマサイコ属:Wikipedia
学 名     Bupleurum stenophyllumミシマサイコ:Wikipedia
(日本薬局方)  Bupleurum falcatum Linné日本薬局方:サイコ
        又は Bupleurum falcatum L.
(その他の英名)  Bupleurum falcatum ミシマサイコ:薬用植物DB
        Bupleurum scorzonerifolium絶滅危惧種Ⅱ:ミシマサイコ
植物分類    せり科 ミシマサイコ属
植物特徴
日本の本州・九州各地の日当たりの良い山野に広く分布していました。現在は環境省のレッドリストで絶滅危惧II類(VU、絶滅の危険が増大している種)に指定されていて、自生種を見ることはほとんどありません。
ミシマサイコは多年草で茎は細く、草丈は40~100cm位になり、葉は細長い形状の単葉で互生して、平行脈の葉を特徴とします。
茎は直立して細く、中程から複数枝分かれし、更にその先で分枝してその枝先に沢山の花芽が出来ます。花は7~8月に開花し、枝先に小さい黄色い花を次々と咲かせ、開花期間が長くなります。
花後には楕円形の分果(複数の子房からできた実)が出来て、褐色に熟して種が成熟します。10~11月頃には非常に小さい種が採取出来ます。
冬季には地上部が枯れます(環境により地上部が枯れないこともあります)が、直根性の根は生きていて、翌年の春には根元から茎が伸長してきます。
多年草としての寿命は通常3~4年(環境により5~6年)です。自然界では成熟した種が周辺に落下して、発芽した種から成長して、苗が更新されますが、発芽1年目は花芽が出来ず花が咲かない為、種も出来ません。発芽2年目以降に花芽が出来るようになります






薬用植物として
薬用植物としては褐色の根が漢方生薬「柴胡」の原料となり、その根に薬効成分のサイコサポニンが多く含まれます。
漢方生薬「柴胡」の原料としての根はサイコサポニンが多く含まれるミシマサイコ2年物や3年物が最良とされています。
漢方生薬「柴胡」の薬効としては解熱・鎮痛効果や精神神経効果があるとされ、古代中国の時代より利用されていて、現在でも薬用植物として商用栽培されたミシマサイコの根が漢方薬の素材として広く使用されています。
ミシマサイコの名前の由来
ミシマサイコと云う和名は江戸時代に漢方生薬・柴胡が主に三島宿(現在の三島市)で集荷・取引されたことから、近代になってからの植物分類の呼称統一で「ミシマサイコ(三島柴胡)」の名前になりました。
それ以前は古来より相模の国では「鎌倉柴胡」という名称で呼ばれていました。
相模原市における「ミシマサイコ」
相模原市内での薬用植物ミシマサイコの自生種
相模原市域には古来より相模野台地と云われる広大な原野があり、江戸時代には周辺の村々(主に相模川や境川沿いに村々が点在していた)の秣場(まぐさば・共用の草刈り場)として利用されていて、そこには自生のミシマサイコの群落地が所々に存在し、「柴胡が原」と云われるほどの景観で、夏には黄色いミシマサイコの花が咲き、秋には貴重な薬草(根の部分が漢方生薬・柴胡の原料)として採取されていました。
「柴胡が原」と云う名称は江戸・天保時代の武士で画家でもある渡辺崋山が厚木への旅で記した「游相日記」に下鶴間にて見た光景が「柴胡の原」と云われている、と記録しているのが由来となっています。




江戸時代の1800年代(江戸時代後期)頃から農民による薬草としての根の採取が多くなり、1900年代(大正・昭和年代)になると都市化が少しづつ始まり、ミシマサイコの自生地が次第に減少して、1950年代(昭和時代・戦後)には都市化と工業用地化や宅地化の進行で自然環境が激変して、相模原市内では自生のミシマサイコはほとんど見られなくなりました。
相模原市内で最後に自生のミシマサイコが見られたのは1955年(昭和30年)頃と云われていて、それ以降は自生のミシマサイコは確認されていません(管理された栽培植物としてのミシマサイコは存在します)。
また、神奈川県においても現在は自生のミシマサイコは確認されていません。
現在では薬用植物ミシマサイコは環境省の絶滅危惧種Ⅱに指定されています。
詳細は  相模原市における「ミシマサイコ  相模原市でのミシマサイコに関する資料  を参照
ミシマサイコと相模原の関連古典史料
游相日記

筑井紀行

古今要覧稿
「游相日記」 (1831年) (渡辺崋山)
「筑井紀行」 (1814年) (小山田与清)
「古今要覧稿」 (1842年) (屋代弘賢)
ミシマサイコ 動画1(下溝石碑前柴胡花壇)
(更新 2021.09.01) 
ミシマサイコ 動画2(モナの丘柴胡育成園)
(更新 2021.09.01) 
ミシマサイコとその同類植物
サイコ(日本)
ミシマサイコ(三島柴胡)   セリ科 ミシマサイコ属  (Bupleurum stenophyllum)
鎌倉柴胡  ミシマサイコの古い名称(江戸時代以前には広く使われていた)
九州柴胡  九州地方で取れるミシマサイコの別称
ホタルサイコ(蛍柴胡)    セリ科 ミシマサイコ属  (Bupleurum longiradiatum)
マルバサイコ(丸葉柴胡)(ホタルサイコの別称) コガネサイコ(黄金柴胡)
注記 ホタルサイコ属 と分類されていることもあります。
ホタルサイコはミシマサイコと同様に日当たりの良い草地に生息する多年草で、ミシマサイコと似ていて草の形状や花の形はほとんど同じですが、葉がミシマサイコに比べてやや幅広の形状で、その花はミシマサイコより小振りです。ホタルサイコの根にも薬効がありますが、その薬効成分のサイコサポニンはミシマサイコと比べて少ないとされています。
ハクサンサイコ(白山柴胡)   セリ科 ミシマサイコ属  (Bupleurum nipponicum)
トウゴクサイコ(東国柴胡)(ハクサンサイコの別称) エゾサイコ(蝦夷柴胡)
ハクサンサイコは本州中北部の亜高山帯から高山帯の開けた草地に生育する多年草で、全体に青白色を帯びています。ハクサンサイコの根にも薬効があります。
レブンサイコ(礼文柴胡)   セリ科 ミシマサイコ属  (Bupleurum ajanense)
サイコ(中国)
マンシュウサイコ(満州柴胡)系 南柴胡と比べると太く,外面は黒褐色で,繊維性が強い
北柴胡   (Bupleurum chinense)
天津柴胡  (Bupleurum chinense)  北柴胡と同種
ホソバサイコ(細葉柴胡)系   細いものが多く,やや柔軟性があり,サイコサポニン含量は比較的高い
南柴胡  (Bupleurum scorzonerifolium)
紅柴胡  (Bupleurum scorzonerifolium)  南柴胡と同種
「サイコ」と云う名が付くが、別種の植物
サイコと云う名が付くが、全く別種の植物又は花が似ているが別種の植物(日本)
ツキヌキサイコ(突抜柴胡)セリ科ミシマサイコ属(Bupleurum rotundifolium)
カワラサイコ(河原柴胡)バラ科キジムシロ属(Potentilla chinensis)
スズサイコ(鈴柴胡)キョウチクトウ科カモメヅル属(Vincetoxicum pycnostelma)
シャグマサイコ(赤熊柴胡)キンポウゲ科オキナグサ属オキナグサ(翁草)の古い呼び名
オキナグサ(翁草)キンポウゲ科オキナグサ属(Pulsatilla cernua)
ウイキョウ(茴香)セリ科ウイキョウ属(Foeniculum vulgare) フェンネル
オミナエシ(女郎花)オミナエシ科オミナエシ属(Patrinia scabiosifolia)
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漢方生薬 柴胡
漢方生薬「柴胡」
漢方生薬「柴胡」の歴史的経緯
漢方生薬「柴胡」は古代中国の時代から広く利用されていて、中国では主に「南柴胡・ホソバサイコ」「北柴胡・マンシュウサイコ」などの根を掘り起こして乾燥させたものが「柴胡」として利用されてきました。また、中国では漢方生薬の利用処方に関する学問が中医薬学(本草学)として発展してきましたが、その中でも「柴胡」は生薬として取り上げられています。
日本には「柴胡」はかなり昔に中国から伝来していたようで、漢方生薬として利用されていたようですが、中医薬学(本草学)としては江戸時代頃に日本に伝わってきて、広く知られるようになり、その後は日本独自の「本草学」及び「漢方生薬」として発展してきて、現代まで引き継がれています。
江戸時代には民間療法の漢方薬「柴胡」として広く利用されていたように伝えられています。
漢方生薬「柴胡」関連の古典史料
本草綱目啓蒙

大和本草

本草綱目
「神農本草経」 (西暦112年頃) (中国・神農)
「本草経集注」 (西暦500年頃) (中国・陶弘景)
「本草綱目」 (1578年) (中国・李時珍)
「大和本草」 (1709年) (貝原益軒)
「用薬須知」 (1726年) (松岡玄達)
「本草綱目啓蒙」 (1805年) (小野蘭山)
漢方生薬「柴胡」の原材料
漢方生薬「柴胡」はミシマサイコの根を洗浄・乾燥して刻み片又は粉状にしたもので、主にミシマサイコの2年物、3年物の根が利用されているようです。
ミシマサイコの根は細長い円錐形~円柱形で、本根から多くの分根があり、長さ10~20cm位、直径0.5~1.5cm位で、根の頭には茎の基部を付けています。
根の外面は淡褐色~褐色で、深いしわがあるものもあります。その根は折れやすく、折面はやや繊維性です。また、根には特異なにおいがあり、味は僅かに苦い味がします。
根が太くて、臭いが強く、質が柔らかいものが良品とされているようです。特に柔軟で、刻むと内側の色が淡黄色で油道が明確に認められ、褐色の油が滲み出るものが最高品とされているようです。
漢方生薬「柴胡」の薬効成分
主成分は
トリテルペン系サポニン : サイコサポニン(saikosaponin)a、サイコサポニン(saikosaponin)d など
日本薬局方規格値:有効成分 総サポニン 0.35%以上 、純度 茎及び葉 茎及び葉10%以上を含まない
他の含有成分は
ステロールのスピナステロール、スティグマステロール、フラボノイド配糖体
パルミチン酸、ステアリン酸、オレイン酸などの脂肪酸等
漢方生薬「サイコ(柴胡)」は「日本薬局方」で規定されています。
日本薬局方は1886年に制定されたもので、その後は時代の変化に合わせて改訂版が発行されている医薬品・薬剤の規格基準書で、日本国内で使用できる医薬品・薬剤の種類や品質・純度などの基準は日本薬局方で定められており、日本薬局方の基準に適合しない医薬品・薬剤は薬機法により販売が禁止されています。
ミシマサイコの根から作る生薬サイコ(柴胡)も日本薬局方の医薬品各条生薬の部に掲載・規定されていて、日本国内ではこの規格をクリアしないと医薬品としての「生薬サイコ」の販売を行なうことは出来ません。
日本薬局方(第18改正) 医薬品各条生薬(抜粋) に掲載されている生薬サイコの規定
漢方生薬「柴胡」の主な効能とその利用
柴胡に含まれるサイコサポニンには解熱、鎮痛、抗炎症、抗アレルギー、肝障害改善、抗潰瘍、抗ストレスなどの作用があることが報告されています。
日本では柴胡の配合された処方をとくに柴胡剤といい、慢性疾患や体質改善の治療に幅広く利用されていて、解熱、鎮痛、抗炎症、肝臓などの漢方治療薬に配合されているようです。
漢方薬としては、風邪・胃炎・中耳炎などに小柴胡湯(しょうさいことう)や高血圧・肝臓肥大症・慢性胆のう炎・胆石症・心臓性ぜんそくなどに大柴胡湯(だいさいことう)、長引いたカゼの症状などには小柴胡湯と桂枝湯が合わさった柴胡桂枝湯(さいこけいしとう)等々があるようです。
医療用漢方処方薬だけでなく、一般市販薬でも漢方製薬会社から多くの柴胡剤が販売されているようです。
漢方生薬「柴胡」の主な栽培生産地
日本では野生品はほぼ採集されることはなく、ほぼ全量が漢方製薬会社の商用栽培品となっていて、中国からの輸入と日本の九州や四国地方で栽培生産されています。
現在、日本で使われている漢方生薬「柴胡」は中国からの輸入が90%以上を占めています。やはり価格的に国内産では中国産に太刀打ちできない状況のようで、中国からの輸入品の大部分は日本の漢方製薬会社からの委託生産品だと思われます。
日本の厚生労働省でもこのような現状を打開するため、国内生産の奨励政策をしているようですが、現状は価格的に対応が難しく、順調には進んでいないようです。
漢方生薬「柴胡」関連リンク
薬用植物総合情報データベース 生薬詳細 サイコページ
日本漢方生薬製剤協会 生薬一覧 柴胡ページ
東京製薬協会 新常用和漢薬集 サイコページ
ミシマサイコ関連の古典史料
「游相日記」 (1831年) (渡辺崋山)
「筑井紀行」 (1814年) (小山田与清)
本草綱目啓蒙

大和本草

本草綱目
「古今要覧稿」 (1842年) (屋代弘賢)
「神農本草経」 (西暦112年頃) (中国・神農)
「本草経集注」 (西暦500年頃) (中国・陶弘景)
「本草綱目」 (1578年) (中国・李時珍)
「大和本草」 (1709年) (貝原益軒)
「用薬須知」 (1726年) (松岡玄達)
「本草綱目啓蒙」 (1805年) (小野蘭山)
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相模原柴胡の会が管理しているミシマサイコの由来
相模原市内で最後に自生のミシマシコが見られたのは1955年(昭和30年)頃までで、それ以降は自生のミシマサイコは確認されていません。現在では薬用植物ミシマサイコの自生種は絶滅危惧種Ⅱに指定されています。
相模原市では1967年(昭和42年)にミシマサイコの探索を専門家に依頼して行い、丹沢・塔ノ岳でミシマサイコの自生種を発見してその種を採取して持ち帰りました。その種からミシマサイコを栽培しましたが、時代の流れとともに廃れてきました。相模原市では2004年(平成17年)に当時の小川市長がそのミシマサイコの子孫を相模原麻溝公園に移植され、相模原麻溝公園で細々と管理されることになりました。
相模原柴胡の会では2017年(平成29年)からその管理の委託を受けて、ミシマサイコの育成・栽培に努め、その種を採取してミシマサイコの増殖に励んで、栽培場所を増やしてきました。
 このように相模原柴胡の会で管理している柴胡花壇のミシマサイコは昔、「柴胡が原」と云われていた相模野台地近辺の山地に自生していた野生種の種から歴史的経過を経て継続して育成・栽培しているミシマサイコです。 一般に生薬・柴胡の生産栽培用に管理・育成されているミシマサイコではありません。
2020年3月1日掲載 
ミシマサイコの相模原地域ブランド名 「相模原柴胡」 について
相模原柴胡の会では当会が管理している柴胡花壇や柴胡育成園で栽培している
ミシマサイコやそれから採取されたミシマサイコの種及びその種から育成されたミシマサイコを相模原地域ブランド名として以下の名称とすることにしました。
「相模原柴胡」 (読み名 「さがみはらさいこ」)
今後、相模原柴胡の会では相模原市民の皆さんに配布するミシマサイコの苗や種はこの地域ブランド名を付けて配布させていただきます。
市民のみなさまのご理解とご協力をよろしくお願いいたします。
2020年3月1日掲載 
「ミシマサイコと相模原」「柴 胡 関 連 史 料」
準備中です。
準備中です。
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「相模原柴胡の会」ホームページ管理者 若井義弘
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